わが人生と味の道
人生の幕あきは、悲しみと苦難
一家心中の直前、それが中止に・・・
「痛い! 痛いよう!」けたたましい弟の泣き声がしました。公園の竹につ
まずいて転んだ拍子に手首を痛めてしまったのです。どうやら、手首を
骨折したらしく、見る見るうちに腫れ上がってきます。両親は救急車を
呼び、その後、右手をダルマのように包帯でぐるぐる巻きにされた弟と
一緒に家に戻ってきたのでした。両親は弟の泣き叫ぶ声を聞いたとき
に我に返り、「自分たちは一家心中をしようと必死になってその方法を
考えめぐらしていたけれど、こんな小さな子供の手が一本折れただけ
で、こんなにも心を痛め、悲しみと辛さを感じるのだから、とても子供三
人を道づれにして死ぬことなんか出来ない」と。そして、両親は一家心
中することを思い留まったのでした。 (本文より抜粋)
目次
人生の幕あきは、悲しみと苦難
心中を止めた神の手
料理修業の道へ
十七歳の料理長
多忙な日々と事業の成功
結婚と両親の死
酒びたりの生活
母の涙と祈り
味の開発人として
残る人生を、キリストに捧げる、他
付録1 随想録
[人生]
〈問題が起こるのは成長のチャンス〉
〈過去を処理すること〉
〈平安と感謝と喜びを
持つための24の方法〉、他
[神・信仰]
〈人間の愛と神の愛〉
〈聖書をどう読み、どう悟るか〉
〈言葉と罪の関係〉、他
[結婚・夫婦の愛]
〈リンゴとバナナ〉
〈素敵な夫婦の学び〉
〈お互いに愛し合う最も
良い方法とは〉、他
付録2 説教
エデンの園の食卓
著者
著者 荘 明義(そう・あきよし)
1944 年中国・貴州省生まれ。
4 歳のときに来日、
14 歳で中華料理の世界に入り、四川料理の大家である陳建民氏に師事、故陳建民師父の3番弟子。田村町四川飯店で修行、
16 歳で六本木四川飯店副料理長、
17 歳で横浜・重慶飯店の料理長となる。
33 歳で大龍門の総料理長となり、中華冷凍食品の開発に従事、
35 歳の時に(有)荘味道開発研究所設立、
39 歳で中華冷凍食品メーカー(株) 大龍専務取締役、
その後68 歳で商品開発と味作りのコンサルタント、
他に料理学校の講師、テレビや雑誌などのメディアに登場して中華料理の普及に努めてきた。
神奈川・横浜華僑基督教会長老
出版:イーグレープ
わが人生と味の道