イエスさまについていこう
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不安な心を抱えるあなたが辿る
我が家への道
「来なさい,私について来なさい」と語りかけてくださる
主イエスの招きの声を聞きたい
希望をなくし,ただ忙しく走り回っているあなたに,
しゃがみこみ膝を抱えているあなたに語りかける.
あなたは,悲しみに消されることのない喜びを,
決してなくならないまことの希望をみつけるだろう.
もう一度立ち上がる勇気を与えられる.
目次
序 ヘンリー・ナウエン、友人そして教師 リチャード・ロール
序章
第1章 招き
第2章 呼びかけ
第3章 チャレンジ
第4章 代価
第5章 報酬
第6章 約束
編者のことば ガブリエル・アーンショウ
謝辞
訳者あとがき
【著者紹介】
ヘンリー・ナウエン
Henri J. M. Nouwen(1932┄1996 年)
オランダ生まれのカトリックの司祭.ハーバード大学など複数の有名大学で教鞭をとった後,大学教授としての名声を捨て,カナダのトロントにある「ラルシュ・コミュニティー・デイブレイク」の牧者として,知的ハンディのある人びとと生活を共にした.教派を超えて大いに尊敬され,愛されているキリスト教霊性の教師.著作は40 冊を超える.邦訳多数.
【訳者紹介】
ブラウネル・のぞみ
アメリカ合衆国ミシガン州にあるウェスタン神学校を卒業.M. R. E.(宗教教育修士)
アメリカ改革派教会宣教師.横浜のグリーンハウス青少年センター主事.「子どもと礼拝の会」認定トレーナー.
訳書(共訳)
『ちいさな子どもたちと礼拝』『イエスさまについて行こう』一麦出版社刊
一麦出版社
ヘンリー・ナウエンの『イエスさまについていこう』をみなさまのお手元にお届けできることを大変嬉しく思います。
編者であるガブリエル・アーンショウが記しているとおり、本書はナウエンが一九八五年にマサチューセッツ州でおこなった講演会の内容を彼の死後に書き起こして、二〇一九年に出版したものです。ナウエンが一九九六年に地上の生涯を終えてから四半世紀以上の時を経てもなお、神さまが彼にお与えになった賜物を尊んで、後の世に残そうと努力している方々がおられることは、大きな慰めです。それはナウエンの言葉が、時代や場所、教派を超えて、数えきれないほど多くのキリスト者に霊的な導きを与えてきたからに違いありません。
私は一九九〇年代半ばに、アメリカのミシガン州にある改革派の神学校で学ぶ機会を得ておりましたが、その当時プロテスタントの神学校においてもナウエンの影響は非常に大きく、教授も学生も競うようにして彼の著書を読み、大いに霊的指南を受けていたことを思い出します。一九九六年にナウエンが突然天に召されたときには、そのニュースが学内を駆けめぐりました。ショックを受けた学生や教職員たちが彼の早すぎる死を惜しんで、涙を流しながらチャペルに集って祈っていました。その姿を目のあたりにして、ヘンリー・ナウエンという人物が有名な神学者、教師だという以上に、多くの人々の心に結びつき、深く愛されていた特別な人物なのだという印象を強く受けました。
ナウエンは信仰についての知識をもつことだけではなく、三位一体の神さまのご臨在を人生の中心において、それを経験しつつ生きることはどういうことなのかを、生涯をかけて明らかにしようとしていました。彼はまた、日常生活とキリスト者の生き方を深く結びつけることに長けていました。彼は誰の心の中にもある孤独―― 本当に自分は心の底から誰かとつながり、わかりあうことができるのかという疑問や、失望、悲しみ―― という穴に向かって声を上げて、語ることを恐れませんでした。それは、ナウエン自身が自分の根幹にあったその問題に何度も向き合い、そこにみことばの光を当て、神さまの前に両手を広げて、その問題をおささげしていくことをくり返していたからでしょう。そして空になった両手に、神さまの無限の愛を、何度も、何度も、受け止めていたからに違いないと思うのです。彼の賜物の一つは、それをおこなうことのできた勇気であったのかもしれません。だからこそ、彼は同じ苦しみや痛みを抱えて旅路を行く者たちに寄り添って歩き、前方をさし示すことができたのです。そして、そのさし示す先にはいつも、「私について来なさい」とおっしゃる主イエスがおられるのです。
そういう意味で、ナウエンの言葉はキリスト者が極端に少ないこの日本という国で日々苦闘している私たちのために、羅針盤のような役目を果たしてくれるのではないかと思います。主イエスは福音書の中で何度もくり返して「私について来なさい」と招いておられます。私たちを招いてくださる主イエスとはどのようなお方なのか、このキリストの招きに私たちがどのように応えるのか、ついていく先に何があるのか。情報過多で混沌とした現代社会において、それらの問いへの答えをみつけるために、ナウエンは私たちの周りにある障害物を注意深く取り去っていきます。キリストを知らない世界によって刷り込まれた偽の概念を取り除くとき、そこに狭いけれども、はっきりとした道が見えてきます。その狭い道こそが、私たちを真の故郷、神の家へと導く道なのだと、ナウエンは自らの経験をふんだんに交えて語りかけてくれます。本書を読み進めるうちに、読者はその道を辿りはじめ、知らず知らずのうちに喜びと希望の小川が心の中に流れはじめていることにお気づきになることでしょう。そして、その喜びの道を歩むのは私一人だけではなく、いつでも同じ道を歩んでいる仲間がいるのだということにも気づくのです。
私は以前ナウエンの別の講演をビデオで視聴する機会がありました。講演会での彼は、私が著書を読んで勝手に作り上げていた「静か」で「穏やか」という印象を大きく裏切るダイナミック・スピーカーでした。大きな声と大胆なジェスチャーで力を込めて情熱的に語る姿には、彼の確信の深さと聴衆への愛の強さが表されていました。英語の原書は彼の語り口をそのままに記すこによって、ナウエンが直接語りかけているような生き生きとしたものとなっています。強調点をくり返したり、わかりやすいように何度も言い換えたりするところにも、聞き手・読み手に対する思いやりや、彼が真理だと確信するところをぜひわかってもらいたい、という強い願望が伝わってきます。日本語訳にあたっては、講演のイメージと原書に残っている臨場感を保って、平易な口語にするとともに、彼の情熱を伝えるよう力を尽くしました。
熟練した聖書の教師であるナウエンは、聖書のみことばの中を聖霊によって自由に行き来し、注意深い解釈のもと噛み砕いて、それぞれの章のテーマを美しく編み上げています。引用箇所を記していないところでも、わかりやすい表現で数々のみことばを解き明かしてくれていることに読者はお気づきになることでしょう。
複雑で騒々しい世界に生きる私たちが、本当に大切なものは何かを少しずつ見極めつつ、主イエスのあとについて歩いていくことの素晴らしさを味わいながら前進することができるよう、そのためにこの拙訳が小さな光を照らすことができれば幸いです。
翻訳出版にあたり、一麦出版社の西村勝佳氏に大変ご尽力いただきました。私の拙い訳文を「読者に伝わるようにするのが一番」と忍耐をもって導いてくださったことに心から感謝いたします。また、「子どもと礼拝の会」の諸氏には、原書を理解するために必要な洞察を豊かに与えていただきました。最後に、いつも私を理解して励ましてくれた夫と三人の息子たちに本書を捧げます。
二〇二四年 聖霊降臨日
ブラウネルのぞみ
イエスさまについていこう