技術時代における宗教、キリスト教
ただ巻き込まれるのか。抗する道はあるのか。
現代世界を覆い尽くす数々の戦争や侵略行為は、既存の宗教によって正当化されて留まるところを知らず、人も自然も滅びの瀬戸際に立たされている。ハイデガーが「総駆り立て体制」と呼んだ、現代の技術時代という歯車の中で、キリスト教はそれに抗する道を開けるのか。武田泰淳、S・ヴェイユ、D・ボンヘッファーからルオーの絵画「キリストと漁夫たち」へと至る深い思索からその活路を鮮やかに描き出す。
ルオーが宗教的風景画において描いた「いつも場末にいるキリスト」は、現代文明の矛盾のすべてを一身に背負い込んだ最も弱く小さな人びとの苦悩を共に分かちもつ存在を表わしている。その画像は、神なるものと自然なるものとの和解を示唆することによって、人間存在と、一切を有用性で量ってしまう現代世界に潜む矛盾、すなわち人間と自然を利用可能なものへと征服し尽くす矛盾に警鐘乱打したものである。(本書より)
【目次】
序 本書は、なにを問うのか
第一章 カニバリズム 武田泰淳の文学作品に即して
第二章 ナルシシズム
第三章 オリエンタリズムの彼方 シモーヌ・ヴェイユに即して
第四章 責任倫理 D・ボンヘッファーに即して
第五章 技術時代における宗教、キリスト教
終 章 いつも場末にいるキリスト
出版社: ヨベル
著訳者: 竹田純郎:著
発売/発行年月: 2025年9月
判型: A5
ページ数: 216
技術時代における宗教、キリスト教