内在の臨界
生の現象学と現代フランス哲学
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ミシェル・アンリ(1922–2002)によれば,従来の現象学は,可視的な地平に現象を送り返すという〈外〉や隔たりを介した「超越」の構造に基づいてきた。フッサールの「志向性」やハイデガーの「時間性」もこの超越の枠組みの中にあり,真に根源的な現象性を捉えていない。これに対し,アンリは「生の自己顕示」を純粋な現象性の場として提示し,世界の現出とは異なるもう一つの現象性の様態を提示する。そこでは,自己は隔たりなく自己自身を感受する「感情(sentiment)」として現れる。
本書は,「内在(immanence)」という概念の可能性を,20世紀以降の現代フランス哲学,とりわけアンリの哲学を手がかりに探究する。アンリはフッサールやハイデガーの「歴史的現象学」に批判的な立場をとり,「生の現象学」を提唱した。この現象学は,「超越」に依拠する従来の現象学に対して,「内在」としての生の自己顕示を基礎づけるものである。
しかし,アンリの「内在」概念は全面的に受け入れられるべきなのか。本書では,ドゥルーズ,レヴィナス,マリオン,バディウ,ラリュエル,クレティアン,マルディネ,デュフレンヌ,デリダといった現代フランスの哲学者9名との対話を通じて,アンリの「生の現象学」に対し多角的に批判・検討を行い,内在概念の限界や問題点を明らかにする。アンリの哲学の持つ独自性や意義だけでなく,その理論が抱える問題点・限界を明らかにし,「内在」のさらなる可能性とその刷新の方向性を探る。
序論 内在という概念
1 二つの現象性の様態――世界の現出と生の顕示
2 「内在」の概念を全面的に受け入れざるを得ないのか
3 本書の構成
第1章 「内在主義」の同一性と差異――アンリとドゥルーズ
1 内在と単数/複数の力――ニーチェをめぐるアンリとドゥルーズ
2 情感(態)と人称性/非人称性――ビランとベルクソンを通して
3 同じものと異なるもの
4 二つの内在(主義)
第2章 内在と超越のあいだ――アンリとレヴィナス
1 内在と超越
2 レヴィナスから見たアンリ/アンリから見たレヴィナス
3 二つの「生」の問題
4 アンリとレヴィナスの間で
第3章 内在と贈与――アンリとマリオン
1 マリオンの「贈与の現象学」――アンリとレヴィナスの継承
2 アンリからマリオンへ――現象学の第四の原則をめぐって
3 マリオンからアンリへ――隔たりなき応答
4 アンリとマリオン,そして
第4章 内在,主体,〈一〉と〈多〉――アンリとバディウ
1 主体の批判
2 客体=対象なき主体――内在としての二つの主体?
3 科学と技術
4 〈一〉か〈多〉か
第5章 内在と〈一〉――アンリとラリュエル
1 ラリュエルの「非-哲学」――〈一〉という実在
2 ラリュエルはアンリから何を受け継いだのか
3 ラリュエルはどこでアンリから離れるのか
4 アンリとラリュエルの交差と分岐から何を理解するべきか
第6章 内在の内と外――アンリとクレティアン
1 哲学者にして詩人,そしてアンリの批判者クレティアン
2 生は無傷か――クレティアンのアンリ批判
3 他性の否認と〈神の言葉〉の導入――クレティアンの批判に対するアンリの(無)反応
4 内在の内の差異――クレティアンに依拠するアンリとその帰結
第7章 パトス・出来事・現実性――アンリとマルディネ
1 実存することのパトス――マルディネの現象学
2 非志向的なものの現象学
3 〈パトス〉的なもの――感じる自己を感じること
4 感じることと私/世界――アンリとマルディネの遠さと近さ
5 出来事,現実性,不可能性――それでもなお残る隔たり
第8章 情感性と根源的なもの――アンリとデュフレンヌ
1 美感的経験,ア・プリオリ,根源的なもの――デュフレンヌの現象学
2 距離と触発――ハイデガーを読むアンリとデュフレンヌ
3 還元不可能なものとしての個人――アンリとデュフレンヌの共通性
4 デュフレンヌのアンリ批判
5 主体と世界の間の情感性
6 根源的なものとメタ-人間主義
第9章 出来事と(しての)内在――アンリとデリダ
1 アンリから見たデリダ――超越としての差延?
2 差延――〈今-ここ〉の出来事
3 デリダから見たアンリ――生と生き残ること
4 生の現象学は存在論か
5 出来事の現象学
6 出来事・内在・差異
結論 不可能な内在の可能性
1 内在をその限界=境界に連れていくこと
2 内在の(不)可能性
あとがき
文献一覧
人名索引
欧文目次
著者 米虫 正巳 著
ジャンル 哲学・思想
出版年月日 2025/09/25
ISBN 9784862854469
判型・ページ数 菊判・422ページ
知泉書館
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