幼子の救い 悲しむ親への慰め
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福音を理解できる年齢になる前に亡くなった幼児や、理解能力に欠ける知的障害者の救いの可能性について、厳密な神学的考察を、平易な言葉で記す。
ナッシュ教授の見解によれば、こうした幼児や知的障害者はみな例外なく、洗礼を受けていようといまいと救われている。
堅実な福音主義的な信仰に立ちつつ、早くに幼児を亡くした親たちや知的障害者を抱えた家族たちに、希望を与える著作。牧会者にとって、その場の思いつきの気休めではない、真のグリーフ・ワークを行うための、貴重な牧会的示唆に富む。
著者Ronald H. Nash氏は27年間ウェスト・ケンタッキー大学で哲学の教授職にあり、また学部長を20年間務めた。その後、フロリダにある改革派神学校をはじめ、各地の神学校で教鞭をとった。2006年、69歳で逝去。精力的な弁証家として多くの著書があるが、邦訳は本書が初めて。
【目次より】
目 次
プロローグ
その先に何があるのか?
第1章 子どもたちは罪なしに生まれてくるのか?
サムとメアリー
知らされていることの重要性
ペラギウス主義への反論
結 論
第2章 万人救済主義
ロバートとベティ
マシューズ牧師は神の愛を理解しているか?
万人救済主義に関する最後の考察
第3章 死後に救いはあるのか?
死後の救いに関する評価
Iペトロは本当に死後の救いを教えているのか?
死後の裁きは生前の行いにもとづくものである
結 論
第4章 洗礼によって救われるのか?
洗礼による再生の教義
洗礼による再生という教義に対する反論
聖書の教えにおける一貫性
再生と水とを結びつける二つの聖書箇所
使徒22・16および2・38についてはどうなのか?
マルコ16・15―16
結 論
第5章 幼児の救いを擁護する
著者の立場
本書の立場に対する先行の支持者たち
結 論
第6章 幼児の救い
二つの体系の物語
全的堕落の教義
ウェスレー主義における全的堕落
救いにおける神の業
救いは神と人間との協力によるか?
幼児の救いに関するアルミニウス主義の問題
幼児の救いに関する改革派的見方
幼児たちは救われることが可能である
結 論
第7章 幼児の救いに関する改革派の見方
小さな証し
パッカーによる議論の要約
カルヴァン主義への反対論「キリストはすべての人のために死なれたのか?」
人間は単なる神の操り人形に過ぎないのか?
その他の反対論「カルヴァン主義では、人は自分の同意なしに救われてしまうと主張している」
幼児たちと福音を聞いたことがない大人たちを同一視する試み
ウェストミンスター信仰告白は、亡くなった幼児たちの一部は選ばれておらず、したがって救われないと教えているか?
結 論
第8章 残されたいくつかの疑問
天国で親と子は互いを認識できるのか?
死は人間関係を廃止するのか?
幼児たちは天国においても幼児のままなのか?
子どもたちにとって適切な年齢は何歳なのか?
家族の重要性
出生前の死に関する疑問
受精の過程に関する重要な事実
まだ生まれていない胎児に関する聖書箇所
結 論
エピローグ
訳者あとがき
【訳者について】川越敏司(かわごえ・としじ)氏は1970年生まれ。福島大学経済学部卒、大阪市立大学大学院経済学研究科前期博士課程修了、博士(経済学)。現職は公立はこだて未来大学システム情報科学部准教授。 著書・論文:『実験経済学』(東京大学出版会)、「自閉症と教会」(『福音と世界』2007年10月・11月号)。 訳書:スティーブン・J・ブラムス著『旧約聖書のゲーム理論-ゲーム・プレーヤーとしての神』(東洋経済新報社)、シェルドン著『みあしのあと』、カー夫妻著『自殺者の遺族として生きる』(新教出版社)、キャシー・ブラック著『癒しの説教学-障害者と相互依存の神学』(共訳、教文館)
著者:ロナルド・ナッシュ
出版:新教出版社
幼子の救い 悲しむ親への慰め